みなみ風の吹く裏庭で。

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『桜の樹の下には死体が埋まっている。』梶井基次郎。桜と檸檬と…春、めぐる思考。

『桜の樹の下には』

桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!

 

これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。

俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。

しかしいま、やっとわかるときが来た。

桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

(梶井基次郎)

 

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桜に木の下には屍体が埋まっている、と小説の中で言ったのは、梶井基次郎です。

 

不安を感じるほどの美しさ。 

 

死体の養分を吸わないと、こんな風にきれいに桜が咲く訳が無い、 という考えでやっと納得が出来るようになる主人公。

 

「これは信じていい事なんだよ」という言葉は、ただの想像を完全に肯定してしまう主人公の危うい心が垣間見えて、さらなる怖さを感じさせます。

 

短い小説なので、全文を読みたい方は下のサイトへ行ってみてくださいね(*Ü*)↓

梶井基次郎 桜の樹の下には

 

 

 

『世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』

(古今和歌集 在原業平)

 

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(山口・一ノ坂川)

 

(訳)世の中に、桜というものが全く無かったなら、春を過ごす心はどんなにのどかでしょうか。


「いつ咲くかな」「もう散ってしまうかな」「あの人も、桜をこんな風に眺めているのだろうか」

桜は、人々の気持ちを動かす力が大きいという事。

 

 

昔も今も、桜を見て感じる心に大きな差はないのかもしれないですね。

いろんな事が進化し、発展しても、変わらないものはあるようです。それって強いですね。

 

 

桜をみると、これらの文学作品を思い出してしまうみなみです☆彡.。

 

そんなこんなで今年は、お花見に3回行きました。

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(山口・ふしの川の河川敷)

 

桜は、散り際がいいですね。

風が吹くたびにたくさん舞う花びらは、無くなってしまいそうに思うけど、でもどんどん絶え間なく降ってきます。

肩や髪やビールや携帯電話にふわりとおりてくる花びらが好きです🌸

 

 

 

梶井基次郎の「桜の樹の下で」を思い出して、さらに「檸檬」も数珠つなぎに思い出しました。

 檸檬は、高校の教科書に載っていたんです。

 

『檸檬』

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――

これはちょっといけなかった。

結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。

いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。


何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。

どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善(デパート)の前だった。
「今日は一ひとつ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。

私は画本の棚の前へ行ってみた。

本の色彩を…手当たり次第に積みあげ、また慌あわただしく潰し、また慌しく築きあげた。


やっとそれはでき上がった。

その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。

そしてそれは上出来だった。


不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰くわぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。

 (梶井基次郎)

 

 

なんか、話の大まかな筋がわかるように+好きな所だけ、抜き出そうと思ったのに、かなり大量になってしまいました…(@v@)アレ

 

 

気を病んでいた主人公が、昔は好きで、今は気詰まりだと感じる丸善(デパートの名前)で、本を積み上げます。

 

その上にたまたま持っていた檸檬を一つ置いてみるんです。

 

そうすると、檸檬はカーンと冴え返り、檸檬の周りの空気は緊張して、気分が良かった。

 

そして、主人公は、檸檬を置いたまま丸善を出てみようと思います。

その行動が、くすぐったい気持ち湧き起こし、微笑んでしまう。

 

 

なんとなく主人公の気持ちがわかるし、自分が感じた様なリアルさも感じるのはどうしてでしょうね?

この小説は、みんなにそんな気持ちを起こさせるのでしょうか?

 

 

かなり飛ばして引用させてもらったので、全文が読みたい方は、下のサイトで読めますよ〜(^v^)↓

梶井基次郎 檸檬

 

 

 

そして、私のめくるめく思考の中、檸檬で思い出したのは…

 

『レモン哀歌』

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
……
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう 

 (高村光太郎)

 

レモンって、なんだか昔の人にとっては、特別な存在だったのでしょうか。

 

死の床に伏した智恵子の歯や、レモンの香が目の前に現れるような詩ですね!高村光太郎の智恵子への思いも。

 

高村光太郎の智恵子抄は有名ですよね。

「あどけない話」も好きです♪

 

 

レモンは、海外産でなく、国産無農薬のものを手に入れて、すりおろしてお酒に入れたり、お菓子を作ったりしたいけど、そうなると育てるのが手っ取り早いんでしょうかねえ。

 

 

 

たまには真面目に古典のお勉強も楽しいものです♪♪

古典てほど古くはないのかな。

 

美しい文章と美しい桜は相性がよろしいです。

ではっ(*^0^*)ノ🌸🌸🌸

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