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【高村光太郎の詩】透き通る愛の智恵子抄~男性は光太郎を見習うべき。

数多くの詩を残した高村光太郎さん。(道程が一番有名でしょうか?)

教科書で『智恵子抄』を読んだとき、高村光太郎の愛情が深く、澄んだものであったことに感動を覚えました。

今回は、私が好きな高村光太郎の作品を紹介していきたいと思います。

  

 

「あどけない話」

智恵子は東京に空が無いという、

ほんとの空が見たいという。

 

私は驚いて空を見る。

 

桜若葉の間に在るのは、

切っても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

 

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ。

 

智恵子は遠くを見ながら言う、

阿多々羅山(あたたらやま)の山の上に

毎日出ている青い空が

智恵子のほんとの空だという。

 

あどけない空の話である。

 

「智恵子抄」より 

阿多々羅山

(阿多々羅山の絵を描いてみた) 

 この詩を読んで思うのは、皆さんはどんなことでしょう?

私が目に浮かぶのは、空の談義よりも、高村光太郎の智恵子に対する『透明なもの』を見るような瞳です。

 

高村光太郎は、智恵子のことを、透明な大事なきれいなもののように見ていたんじゃなかな~ということ。

 

「あどけない空の話である。」ってとこが、いいっ!

 

昭和3年の作品で、智恵子が亡くなるよりも前の詩です。

ちなみに阿多々羅山というのは、福島県にある「安達太良山」のことらしいです。

 

自分なら、「空」ってどこの空を思い浮かべるかなぁ。

みんな、それぞれの空を思い浮かべるんですかね。

 

 

あなたはだんだんきれいになる

女がだんだん付属品を棄てると

どうしてこんなにきれいになるのか。

 

年で洗われたあなたのからだは

無辺際を飛ぶ天の金属。

見えも外聞もてんで歯のたたない

中身ばかりの清冽な生きものが

生きて動いてさつさつと意欲する。

 

おんながおんなを取りもどすのは

こうした世紀の修行によるのか。

 

あなたが黙って立っていると

まことに神の造りしものだ。

 

時々内心おどろくほど

あなたはだんだんきれいになる。

「智恵子抄」より

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 この詩は、智恵子が40歳を超えたころのもの。

昔なので、今よりさらに年を取る感覚は早かったんじゃないかな、と思いますが。

 

光太郎の神がかったお言葉の数々。

「年で洗われたあなたのからだ」なんて、一体何がそぎ落とされていったのでしょう?

欲?見栄?執着?

分からないけど、その体が光太郎には「天の金属」に感じられたんですね。

……天の金属もわからないけども。

詳しい方がいれば教えてください。

 

さらには、奥さんを「神の造りしもの」って…。

とにかく、光太郎の愛を感じます。もう今度から、「好きなタイプは?」って聞かれたら、「高村光太郎です。」って答えようかな。

 

でも、智恵子は、この数年後、統合失調症(昔で言う、精神分裂病のことです)を患ってしまうようです。

それでも高村光太郎は、一緒に温泉旅行に行って気を紛らわせようとしたり(智恵子は余計に悪化したらしい。)手作業が良いと聞いて病室に千代紙を持って行ったりしたそうです。切り絵も作っていました。

智恵子の切り絵

( 智恵子の切り絵 とてもきれいな色合い。)

 

「レモン哀歌」は、智恵子の亡くなった約半年後に書かれたみたいです。

レモン哀歌もめちゃくちゃいいので、よければ以前の記事を読んでみてくださいね☆彡

 

高村光太郎さんの「レモン哀歌」を載せた過去記事

www.minamiuraniwa.com

 

 

梅酒

死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は

十年の重みにどんより澱んで光をつつみ、

いま琥珀の杯に凝って玉のようだ。

 

ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、

これをあがってくださいと、

おのれの死後に遺していった人を思う。

 

おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、

もうぢき駄目になると思う悲に

智恵子は身のまわりの始末をした。

 

七年の狂気は死んで終わった。

 

厨に見つけたこの梅酒の芳り(かおり)ある甘さを

わたしはしづかにしづかに味わう。

 

狂瀾怒濤(きょうらんどとう)の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。

あわれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。

夜風も絶えた。

「智恵子抄」より

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(こちらはみなみの作った梅酒です)

智恵子さんが亡くなってから1年半後の詩。

 

 智恵子さん、梅酒作ってたんですねぇ…。

しかも十年物!

 

どんな狂瀾怒濤も、智恵子の残した酒を飲むときの光太郎には届かない。

静かに味わって梅酒を飲んでいる高村光太郎の姿が想像されます。

 

夜風も絶えた、っていう終わりがまたいいです。智恵子の梅酒と光太郎の、犯されがたい時間と空間を感じます。

 

 

「ぼろぼろな駝鳥」

 何が面白くて駝鳥を飼うのだ。

 

動物園の四坪半のぬかるみの中では、

足が大股過ぎるじゃないか。

頸(くび)があんまり長過ぎるぢゃないか。

雪の降る国はこれでは羽がぼろぼろすぎるぢゃないか。 

 

腹がへるから堅パンも食うだろうが、

駝鳥の眼は遠くばかり見ているぢゃないか。

身も世もない様に燃えているぢゃないか。

瑠璃色の風が今にも吹いてくるのを待ちかまえているぢゃないか。

あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいているぢゃないか。

これはもう駝鳥じゃないぢゃないか。

 

人間よ、

もう止せ、こんな事は。

 

「猛獣篇」より

だちょう

最後は、智恵子抄ではない詩ですが…

 

光太郎、やさしい…。

動物園に見に行って、みんな少しは考えたことあるかもしれないですね。

「かわいそう」だな~とかって…。とても難しい問題ですよね…。

 動物園は楽しいし、好きだけど。

昔の動物園は、今よりももっと整っていなくてつらい状態だったのかもしれないですしね。

 

それにしても、駝鳥(だちょう)の描写が素敵です。

遠くを見ている眼の先には、広大な草原が想像出来ます。それを見ている、燃え上がるような瞳の強さも。

 そこは、瑠璃色の風が吹いているんですね。

 

「鯰」っていう詩も教科書で読んだけど、良かったです。高村光太郎は動物が好きなのかな。いきなり「智恵子は寝た」って文が出てきます。

 

 

おわりに

高村光太郎 イラスト

(似てそうで似てない高村光太郎。洋服がおしゃれだった。)

 

最近、昔の詩は著作権がフリーになっているということを知ったみなみです(*‘∀‘)

詩好きとしては、「よっしゃー♪」と叫んだ次第。

なので、これからはちょこちょこ好きな詩を書き留めていければと思っています。

 

高村光太郎の智恵子に対する愛や優しさ、洞察力は目を見張るものがありますね。

「ぼろぼろな駝鳥」だけ智恵子抄以外で異色になりましたが、好きだったので入れちゃいました。

 

光太郎、昔は教科書の写真を見て、「顔が長いおじさんだなぁ…」と思っていましたが、年を経ていまではとても素敵な人だと思っています。

 

なので絵も描いてみました。

絶妙に似てませんが、少し微笑んでいるような、みなみ作「光太郎の微笑」の図です。

 

智恵子も幸せ者ですね~。男性はぜひ高村光太郎を見習って、奥さんや彼女に優しくしてほしいと思います。(←勝手)

年とってもね!

 

ではっ☆彡